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1970年に、22名のマレーシア人である元留日学生がクアラルンプールのミラマ・ホテルにおいて、JAGAM
(マレーシア元留日学生協会)のコンセプトに沿い、Yeo Yan Kim先輩が臨時の初期会長、そしてGan Kok Eng先輩が臨時の初期総事務局長に選ばれて、協会の組織を発足しました。
当初この協会のコンセプトでは、日本の大卒者しか会員にしてもらいなく、短大(2年の大学または専門学校卒業者)を終業した者が会員にさせたがらなかったのです。なおかつ、この協会の発足に当たる主な目的は、会員らが日本で得られた学位をマレーシアの政府に承認してもらう望みとして、会員制度を厳しく設定されました。また、会員らが勤務先で良い待遇され、日本の大卒以外の者とは区別されないようにしてもらいたい主旨でした。
ところが、JAGAMの会員制度は当初の「学士資格」あるいは大卒に制限されると、それ以外2年間以上高度学習制度において修業された者まで、会員として幅広く受け入れなければならないと、多くの元留日学生らに反対されました。
それにつれ、社団条令(Society Act, 1966)の中で協会規則(Rules of Association, 1966)において、1972年に緒先輩よりJAGAMを協会作りしようと提唱されて、1973年1月09日にJAGAMを正式に「マレーシア元留日学生協会」(Japan
Graduatesユ Association Of Malaysia, JAGAM)という社団として登録の申し込みに進められました。当初の住所登録は、c/o
Japan Information Service, No. 1, Jalan Medan Tuanku, Kuala Lumpurにしました。
1979年6月17日に、JAGAMの前会長Ngeow Jin Sin医学博士(1978〜1979会長就任)、Michael
Lim Hong Chin氏、Eric Foo Ah Chai氏そしてToh Kiat Chuan氏ら4人の大先輩がペナンへ訪ね、ペナン留日学生協会(PAJA)の会長だったOoi
Seoh Lin大先輩およびPAJAの委員らとの交流を行い、目的はPAJAを解散してもらいJAGAMの北部支部として一つの社団であるマレーシア全国のJAGAMへ合流するよう呼びかけを進みました。しかし、PAJAを解散させるには技術的な問題があり、結果的にこの話しが白紙となりました。
一方、1980年4月27日に、元留日学生だったのLau Poh Yok医学博士およびSiow Kuang Ling医学博士ら2人の先輩の呼びかけにより、ジョホール・バールでの元留日学生を集め、「南部の元留日学生会」を作りました。同年の6月01日に、ジョホール・バールのオチャード・ホテルでこの「南部の元留日学生会」の正式創立会に、JAGAMの前会長Ngeow医学博士とMichael
Lim氏、お2人先輩の説得で、「南部の元留日学生会」を解散してもらい、JAGAMの南部支部に名を変え、マレーシア全国のJAGAMへ合流するようになりました。
それから、1982年1月10日に、ペナンのPAJAが解散され、JAGAM北部支部としてマレーシア全国のJAGAMへ合流となり、本日に到るわけです。
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